こんにちは。
白鵬が3月27日(日)の千秋楽、大阪場所、優勝がかかる試合で、「変化」をしました。
つまりガチンコでぶつかるのではなく、相手をかわしてあっけなく勝ってしまったことで、大ブーイングに。
表彰式は多くの観客が残るのに、多くが帰ってしまってその不満を表現した、という事件がありました。
今日はこの件について思うことを書いてみました。
レッツゴー・ウンチキスト!
そもそも、変化をして何が悪いのか?
横綱は「正々堂々と戦う」というのが相撲では暗黙のルールになっています。
ルールブックにはない、ルールです。
少し前の話ですが、舞の海が変わり手をやるのはOK。
でも、横綱って特別な階級なのです。
横綱は一度なると降格がありません。自分でやめどきを考えて、自ら進退を決めなければならない特殊なポジションなのです。
世論は概ね白鵬に批判的だが…
取り組みが終わった瞬間から大ブーイング、テレビを通じてでもよく聞けば批判の声が聞こえるほどです。
では、変化がなぜいけないのか?
そもそも正々堂々ってなんなのか?
この辺がよくわからない、という人がいても無理はありません。
一方で「ルール違反をしているわけではないし、何が悪い?」という意見も
そう、スポーツってルールブックがあって、そのルールにしたがって裁かれるものだと。
だから、基本はルールブックに禁じられていることでなければ、やっていいはずです。
契約の社会であれば、そうでしょう。
特に欧米的な考え方では、契約社会なので、契約に基づかないことを強制すること自体に違和感を感じるでしょう。
ところが、日本人というのは、契約ではなくて「あうんの呼吸」なのです。
いちいち禁止をしなくても、空気を読んで、ルールブックにはない「正々堂々」を演じる。
特に、横綱はそういうポジションだという考えがあるのだと思います。
京野の考え
結論からいえば、私はこういう取り組みを横綱はすべきではないと思います。
理由は、相撲はスポーツであると同時に神事であり、しきたりに縛られるものだからです。
私は、小さいころ、千代の富士関が好きでした。
好きというか、北の湖か、千代の富士か、小錦か、北東海か、ぐらいしか強い力士がいなかったので、やっぱりルックスも良い千代の富士はみんな大好きでした。
そして後に九重親方になって、解説をしているときです。
確か、あれは若ノ花(若貴の若ノ花です若乃花になっていたかもしれません)だったと記憶しているのですが、横綱になって大一番で変化をしたんですね。
一度あたってからの変化だったように思います。でも、行くふりをしてパッと身をかわす。
全力でぶつかって行こうとした力士は見事に勢い余って土俵を割る。あるいは転ぶ。
そういうシーンがありました。
その時に、あこがれの九重親方が言うのです。
九重親方「ああいう勝ち方はやっちゃいけないですね」
アナウンサー「やっちゃいけない?」
九重親方「あれは横綱がやる相撲ではない。全力で受け止めてそれでも力の差を見せて勝つのが横綱の相撲です」
アナウンサー「文字通り横綱相撲ですね」
それを聞いた時は、私はあまり意味がわかりませんでした。どうしてそんなことを言うのか。
でも多くのゲームでは、ルールブックになくても、やっていいこと悪いことがあります。
差別的な発言、経緯を欠く表現、だらしない行動…
ただ走るだけの100mですら、ゴールするときに手を突き上げたウサイン・ボルトに「敗者への敬意がない」と批判されるのです。
外国ではなんでもルールが無いわけではないです。
野球では、打ったときにガッツポーズをしてはいけないとか、ピッチャーが打ちとった時に大きな喜びをすることは相手への敬意を欠く行為として、アメリカでは厳しく批判されます。
また、ツール・ド・フランスなどで知られるヨーロッパで盛んな自転車競技などでは、先行する集団は他のチームのメンバーと交互に先頭交代に加わりますし(戦略的な逃げで、あえて逃げを落とす目的の場合は先頭交代に加わらない)、山岳賞をここは渡すから、次のここは俺によこせ、というような取引が行われたりします。自転車競技を知れば知るほど、暗黙のルールの多さに驚きます。
でもそこで、「ルールに書いてないからやっていい」というのは、その競技の歴史や伝統を知らない人が言うことです。ルールブックに書くのは野暮。ルールに明確に書けないこともある。
自転車競技で暗黙のルールに背けば、控室で散々文句を言われ今後の協力が得られなくなりますし、村八分になることもあると言います。チーム競技で信頼を失うと今後何処のチームにも移籍できなくなります。
モンゴルに帰れ、という意見について
モンゴルに帰れ、というのは差別的な意見だと反応している人がいます。
私もその点はそう思いますし、好ましいことではないと思います。
でも、自分の母国でない国に行き、そこでプロとして食べていこうと思ったら、ルールブックだけではなく、その伝統も合わせて組み入れるのは当然のことです。
そこでルールブックに書いていないから、と勝手なことをしたらそっぽを向かれるのは当然。
そもそも、大相撲というのは興行です。
見に来ているお客一人ひとりの投じてくれたお金があって、支えてくれるタニマチがいて、力士は成り立つわけです。
また、日本相撲協会は「公益」財団法人であって、税金面の優遇も受けています。
明確な規定はないとはいえ、相撲が日本の国技であり、単なるルールバインデッドのスポーツではないからです。そもそも相撲は神事であり、様々なしきたりの中で取り組みが進められるのも、そういう伝統を背負っているからなのだと思います。
だから、そういう「しきたり」や「暗黙の了解」を軽んじる行為は、それを見た周りの人間が「それはいけないことだ」と非難をする必要があるのです。それでルールでないルールでしばり、一般のお客さんが見て納得のいく相撲となるのだと思います。
日本人も、海外で仕事をするときに差別される
昔、斎藤一人さんの話を聞いたことがあります。あの、納税額がめちゃ多い、斎藤一人さんです。日本一のお金持ちと言われる銀座まるかんの社長です。
その時に、MKタクシーの青木社長(たぶん初代の社長なのだと思います)の話をされていました。
MKタクシーとは京都が本社で、運転手のサービスが格段に良いことで知られるタクシー会社です。
その青木社長の話に感動したと斎藤一人さんが言っていました。
「自分の母国じゃない国で生きていくってのは、差別されて当たり前なんだ」と言っている青木さんに感動したと。(青木さんは在日韓国人)
日本人だって、海外に行って、例えばブラジルに行って仕事をしようとしたら、現地の人と同じように仕事をもらえない。それはアタリマエなんだと。
だからこそ、一生懸命受け入れてもらえるように、人一倍お客様の満足を考えるのだと。
青木さんもそうだったと。
日本で仕事をしようと思ったらそれは日本人の仕事を奪うのだから、差別されて当たり前。でも、それでも「お前が必要だ」と思ってもらえるくらい一生懸命仕事をするんだと。
そうすると、その姿勢に心を打たれる人が出てくる、信頼されてくる、認められるようになるんだ、と。
私も、なるほどなと思いました。
田舎から東京に出てきたら、差別されて当たり前。
外資系の企業に入ったら、日本人だと差別されても当たり前。
女性の会社に男性が入って行ったら、男性が差別されるのは当たり前。
そう思って行動するといい仕事ができる、というような話だったと思います。
海外に旅行に行っても、「あぁ、東洋人ってことで差別されてるんだなぁ」と思うことはありますけど、そんなものだと思って受け止めると良い気がします。
白鵬について
とはいえ、白鵬は類まれなる能力があり、それだけ勝負にこだわる勝ち気の強い、素晴らしい横綱です。
優勝できないことでの焦りはあると思いますが、これを機にいろいろな面で素晴らしい横綱になってほしいと思います。
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