本日4月14日はタイタニック号の日です。
今日は、タイタニック号周辺について調べました。
レッツゴーウンチキスト!
タイタニックの悲劇
今から103年前、1912年の4月14日の深夜、初航海中のイギリスの大型客船タイタニック号が、北大西洋ニューファントランド沖で氷山に激突し、翌日未明に沈没しました。
乗客乗員2208人のうち1513人の儀牲者を出しました。
事故の原因や被害には、救命設備・流氷の監視・無線電信等さまざまな問題が関連しており、その後の船の安全確保について多くの教訓が得られました。
ここまでうんちくまとめ1
- 初航海中
- イギリスの大型客船
- 西大西洋ニューファンドランド沖
- 衝突したのは「氷山」
- 乗客乗員の68.5%が亡くなったが、31.5%は助かった
- 乗客乗員中2208人中1513人の犠牲者
- 当時世界最大の海難事故
- 救命設備に問題
- 流氷の監視に問題
- 無線電信に問題
- この事件をきっかけに船の安全確保について多くの教訓
オリンピック級客船とは
タイタニックは、3つあったオリンピック級客船の1つです。
オリンピック級客船とは、1900年初頭に建造された、三大姉妹客船のこと。
オリンピック級客船の三大姉妹船
→オリンピック号・タイタニック号・ブリタニック号
20世紀初頭、重工業として勢力を保っていたハーランド・アンド・ウルフの会長ビリー卿が、大手海運企業ホワイト・スター・ラインの社長ブルース・イズメイに、ライバルのキュナード・ラインのルシタニア号とモーリタニア号に対抗すべく、3隻の巨大豪華客船の計画を持ちかけたことが発端である。ドック上の理由からオリンピック号とタイタニック号の2隻が先立って竣工し、少し遅れてジャイガンティック号(後にブリタニック号と改名)の造船が開始された。(Wikipedia)
ここまでのうんちくまとめ2
- ハーランド・アンド・ウルフという造船企業
- ハーランド・アンド・ウルフの会長は「ビリー卿」
- 海運企業の「ホワイト・スター・ライン(WSL)」
- WSLの社長は「ブルース・イズメイ」
- 海運企業のライバル「キュナード・ライン」
- 「ホワイト・スター・ライン」vs「キュナード・ライン」という構造
- 「ブリタニック号」は当初「ジャイガンティック号」だった
タイタニックの事故のあと、当然ながらオリンピック号とブリタニック号は大幅な改装が施されました。
ブリタニック号は1914年に進水式を迎えるものの、第一次世界大戦が始まると、オリンピック号と共に病院船として徴用されることになりました。
ブリタニック号はその2年後の1916年、雷が落ちて沈没します。
一方、オリンピック号は、軍艦に体当りして沈没させるなど武勇伝を作りつつ、戦争が終わった後にはまた客船として復帰します。
オリンピック級客船3姉妹の最年長であるオリンピック号は、
1911年から24年に渡る長い期間の活動の後、晩年には「Old Reliable」という愛称で親しまれて1935年に引退しました。
ここまでのうんちくまとめ3
- タイタニックの事故のあと、オリンピック号とブリタニック号は大幅改装
- 二隻ともWW1中は病院船として徴用
- ブリタニック号は1916年に触雷により沈没
- オリンピック号は軍艦に体当りして沈没させるなどの武勇伝
- オリンピック号は24年活動した
- 晩年には「Old Reliable」という愛称で呼ばれた
今日はタイタニックの日にちなみ、タイタニック号からオリンピック級客船についてうんちくを溜めました。
タイタニック号が三姉妹で、最年長の「オリンピック号」が長生きして24年も活動したなんて面白いですよね!
また明日!
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