今日、4月16日は「ボーイズビーアンビシャスデー」です。
ご存知、札幌農学校の基礎を築いたクラーク博士の名言「Boys, be ambithious.」を記念する日です。
今日は、クラーク博士について調べました。
レッツゴー・ウンチキスト!
4月15日は「ボーイズ・ビー・アンビシャスデー」
1877(明治10)年4月15日、札幌農学校(現:北海道大学農学部)の基礎を築いた教頭・クラーク博士が、「Boys,be ambitious.(少年よ、大志を抱け)」という有名な言葉を残して北海道を去りました。
この4月15日を「ボーイズビーアンビシャスデー」としたわけですね。
しかしながら、だれがいつこれを制定したのかわかりませんでした。
クラーク博士ってどんな人?
ウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark、1826年7月31日 – 1886年3月9日)は、アメリカ合衆国の教育者です。
化学、植物学、動物学の教師であり、農学教育のリーダーでした。
札幌農学校(のち、東北帝国大学農科大学を経て北海道帝国大学)の初代教頭です。
同大学では専門の植物学だけでなく、自然科学一般を英語で教えました。
ここで、驚くんですけど、旧帝大で「学生達に聖書を配り、キリスト教についても講じた」ということ。
農学教育のために大学に呼ばれたのにキリスト教を教えていることに問題はなかったんですかね。
もっとも、1870年代であれば、明治時代の初期で、文明開化から新たな西洋の考え方を吸収することに積極的だったころなのでしょうかね。
そして、のちに学生たちは「イエスを信じる者の誓約」に次々と署名し、キリスト教の信仰に入る決心をしたということです。もう、宣教師ですね。
「Boys,be ambitious.(少年よ、大志を抱け)」について
1877年札幌農学校教頭のウィリアム・スミス・クラークが「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」の言葉を残して帰国の途についた、ということになっているのですが、実はその当時この言葉はそれほど注目されていなかったようです。
“Boys, be ambitious!”は帰国に際し島松まで見送った学生たちに向って馬上から最後に一声のべられたもので(第一期生大島正健博士の著書による),その時 の状況からみてこれは「さようなら」に代る別れの言葉であったと思われる。
BBAが記録の上で最初にあらわれたのは,現在知られる限りでは,明治27予科生徒安東幾三郎(のち日伯拓植取締役)が農学校の学芸会機関誌「恵林」に 掲載した「ウイリアム・エス・クラーク」なる文章中である。その13号に安東は書いている。「暫くにして彼悠々として再び馬に跨り,学生を顧みて叫んで日 く,『小供等よ,此老人の如く大望にあれ』 (Boys, be ambitious like this old man)と。一鞭を加へ塵埃を蹴て去りぬ」このlike this old manは意味深重であるが,別れの言葉としては一寸芝居がかっている。それに50歳を少し過ぎたばかりのクラーク博士が自分のことをold manと考えていたかどうか。それはともかく語呂の点からみても,まだこの言葉は学生間に充分に定着していなかったことを物語るように思われる。
http://www.lib.hokudai.ac.jp/collections/clark/boys-be-ambitious/
なんと、馬の上から学生たちに最後に一言述べられたものなのですね。
「オッサンの俺のように、お前ら、野望を持てよ」て言ったということですけど、確かに50歳ちょっとで「This old man」というのでしょうかね。
まぁ、今の50代は若いけど、明治時代は50歳だったら相当なおじいさんだったのかな。
確かにさっぽろ羊ヶ丘展望台にあるクラーク像を見ると、けっこうおじいさんですよね。
あそこいくと、どうしても同じ格好して写真撮っちゃいます。
また明日お会いしましょう!
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