約30年ぶりの同窓会で思ったこと

dousoukai

こんにちは。京野です。

約30年ぶりの同窓会(中学)に参加してきました。

都内で生活していると、当たり前だと思っていることが当たり前じゃなかったりすることも多くて、いろいろと考えさせられました。

今日はちょっと日記的なのですけど、だらだらと書いていこうと思います。

人生の半分を田舎で、半分を東京で

私京野は団塊ジュニアと呼ばれる世代です。

少し東京生活の方がもう長くなりましたけど、まぁ、半々です。

で、田舎に帰ると、言葉も気づくと戻っていたりして(僕は意識的に切り替えができないので難しいです)、東京に戻ってきてからもアクセントが変だよ?とか言われる始末なんですけどね。

それで、約20年を田舎で、約20年を東京で住んでみて感じたことなどを(今、思いつくままに)書いてみようかと。

結婚が早い

最近の統計では、女性が第一子を出産するのは30歳を超えています。

すでに2011年には30歳を超えて、2013年には30.4歳です。

ところが、子どもがもう成人式を迎えた人も話しただけで2人いました。

トータル20人強だと思うんだけど、結構いますよね。

子どもの話をしたのは5-6人くらいだから、二十歳の子ってびっくりです。

タバコを吸う

喫煙率が高かったです。

おそらく男は7割以上吸っていたような。いや、もっと多かったかな。8割かな〜

車の中でも吸いますからね。

都内だとそもそも、吸えるところが少ないこともあって、以前は吸っていても辞めた人が多いと思いますけど、ホントに吸う人が多いことに驚きました。

でも飲酒運転はしない

正直、「帰りはオレが送る」って友達が言ってくれたときに「え?大丈夫?」って思っていました。

だって、僕が子どもの頃は、大人って平気で飲酒運転していましたからね。

まぁ、20年前くらいまでは普通にそういうことありましたよね?

もちろん、見つかれば捕まるけど、みんなやってる的な。

 

ところが、悲惨な事故がおきたり、厳罰化が進んだりして都内では飲酒運転する人を見なくなりました。

また、同乗している人も責任を負うので、もし飲酒者が送ってくれるならば、断って歩いて帰ろうと思いました(田舎なんで、近い店とはいえ3キロは歩くんですけど(笑))

ま、3キロくらい普通に良く歩くので、別にいいかなと。

(っていうか、僕はお酒飲まないので、車で向かっても良かったんですけどね)

そしたら、「いや、オレ飲まないから」って奴がいて「え?飲まないの?」と思ったら、「そもそも飲めない。明日も早いし」という友人が。

やっぱり僕みたいに飲めない人いるんですね。田舎でも。

その他のメンバーもどうするの??と思っていたけど、みんな代行を呼んでいるのをみて、安心しました。

ま、きちんと法律が守られているのに安心しました。

言葉使いが荒い

「バカ」とか、「おまえ」とか普通に言うんですよね。

確かに、初めて東京に出てきた頃「おまえさぁ」とか、「バカじゃね?」とか言うと、本気で嫌な顔されたりしたのを思い出しました。

あぁ、そうだった、そうだったって感じでした。

それで、何かにつけいちゃもんをつけるというか、そういうところから会話の端緒を見つけるみたいな人が多いのにも「あぁ、そうだったなぁ」っていう感じでした。

そら、おっさん

やはり40オーバーになるとみんなおっさんでしたね。

頭が禿げている人も数人いました。

それはそうと、一切帽子を脱がなかった奴が2-3名いたけど、あれは寒いからなの?それともセットが崩れるから?

それともあいつらも禿げてたんだろうか。

丸くなる

小学校の頃、ガキ大将だった仲間がすごく丸くなっていました。

今でも顔面凶器みたいな顔をしているんだけど、結構みんな厳しいこと突っ込んだりしていて「みんな、おまえのこと嫌いだかぞ」

それに対しても「みんな、ごめんなさい」なんて言っていて。

小学校時代はマラソン大会では1位、ソフトボール投げでは65メートルを投げて、中学に入ってきて。身体も大きいしバスケは天才的にうまいし。高校では野球の強い甲子園にもいく学校でエースで四番という、まぁ、本当に運動の天才で。

僕も結構腕相撲が強くて、「やろうぜ」ってけんかを売られる感じでよく言われてたんですけど(でもことごとく勝っていたんですけど)、彼には「圧敗」して、未だに人生であそこまで余裕で負けたことは記憶にないってくらい圧倒的に負けました。

顔も厳つくて、しつこいですけど顔面凶器みたいな顔ではあるんですけど、表情が柔和になっていました。

ほかにも、結構やんちゃしてた奴なんかも、丸くなっていました。

人生も40を超えると丸くなるんですね。

老眼になる

老眼にもなっていました。結構多くのメンバーが「もう、離さないと見えないもん」って言っていました。

僕はレーシックをやっているので、そう感じないというのもあるのかもしれませんが、だいたい42歳ごろから老眼は目立ってくるそうです。

身体にもがたがきますね。

デブ。デブ。

僕は75キロくらいあるんで、結構重いです。

筋肉も多いので、デブと言われることは少ないですけど、まぁ、もう少しやせたいな、と思っています。

が、安心するぐらい、みんな太っていました。7割くらいは。

3割くらいは太っていないですけどね。

貫禄が出てくる、という年齢なんでしょうね。

ちなみに、すっきりやせていて、格好いい同級生にその理由を聞いたら「マラソンやってる」って言っていました。

マラソンいいんですね。

タイムをきいたら「3時間45分」と。サブフォー。すごいです。

僕は陸上部でしたけど、短距離なので、本当に長距離嫌いなんだよなぁ…どうやったら好きになれるんだろう…

プロサッカー選手も

ぼくらの学年には、プロサッカー選手になった奴もいました。

ぼくらのJリーグ開幕と高校卒業が重なっているのですけど、そこに彼の名前があったのは、ぼくらの学年ではホントに誇らしいことでした。

僕はさしてサッカーに興味はないのですけど、やっぱり選手名鑑なんて買っちゃって、彼が掲載されていることに喜びを感じていました。

彼は二軍スタートだったので、扱いは小さかったのですけど「50メートルを5秒台で走る俊足、活躍が期待される」的なことが書いてありました。

結局、彼は一軍の公式戦には記録がないので、生涯一軍の公式戦には出なかったのだと思います。記録を見ると3年ほどで退団したようです。

今でも、コーチとしてサッカーには関わっているということでしたが、もちろん別に仕事はあるようでした。

「プロってどんな世界だった?」

と聴いたら、まずは後悔の念を話してくれました。

「勘違いしちゃった」と。

当時は、猫も杓子も、Jリーグ。

カズが、ラモスが、北澤が、前園がヴェルディで盛り上げて、

第一回優勝チームは鹿島アントラーズ。

招聘したジーコが現役に復帰し、大活躍しました。

つまり、プロサッカー選手という職業ができた年の第一号で19歳で入団。

「舞い上がってしまった」と。

そして、地元の大手企業が出資する球団なので、その大手企業の社長とも一緒に会食ができる。

もう、サッカー選手というだけで、もてはやされ、遊んでしまったと。

「ん?でもカズとかも遊んでたでしょ」というと、「そのレベルになってから遊ぶのはいいけど、オレが遊んじゃだめだろ」と。

まぁ、そうですよね。

でも19歳。

周りの環境に影響されやすい年齢で、プロとしての信念もなく、流されて生きて、プロとして生きられなかったということなのでしょう。

長身でやせていた彼はしっかりと太り、見る影もなくなっていましたが、熱いサッカー熱は依然衰えていない感じでした。

19歳のプロ選手に、しっかり生活面も高い視点で見てくれるコーチがいれば、きっと成果がだせるって人も多いんでしょうね。

そう考えると、小さい頃から成果を出す選手って本当にしっかりしてますよね。

田中マー君もそうだったし、大谷翔平くんなんかも、もうホント、どうしちゃったのっていうくらい大人ですもんね。

そういう生活も含めたトレーナーって需要あると思うんだよなー。

仲間

やっぱり小さい頃からの仲間って大切ですね。

あっという間にあの頃に戻れる感じでした。

 

この仲間たちと、また会える日を楽しみにしていきたいです。

そのうち、病気の話題が盛り上がるようになるんでしょうかね。

健康で長生きしたいです。トレーニングしよっと。

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