【幸福論】情報が多い時代は、幸せになれないのか

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こんにちは。京野です。
今日は羽生善治さんの本に書かれている内容から、少し気になったことを考えてみました。

レッツゴー・ウンチキスト!

羽生善治『迷いながら強くなる』から得たヒント

羽生さんが2年少し前に出された

迷いながら、強くなる (単行本)

という本があります。
この本について、羽生さんが話されていた内容を聞いて、思った話です。

情報の多さは後悔を生む、という話

羽生さんが「選択肢が沢山あると後悔しやすい」という話をされていました。

意味がちょっとわかりにくいですよね。
これを、羽生さんは「定食屋のたとえ」として話をされます。

お昼ご飯を食べに行くことを考えてください。

そこにメニューが3つしかなかったら、たぶんどれを選んでも後悔しないと思う、というのです。

でも、そこで仮に50個の選択肢があったらどれを選んでも後悔すると言うのです。

50もあったら、仮に食べたものが美味しくても、「隣のほうが美味しかったのでは」と思ってしまうと

この心理、よくわかる気がします。
人間って、「損をする」ということに対して、とても敏感に反応しますよね。
経済的価値が同じだとしても、「損をする」ことに敏感です。

羽生さんはこう言います。

50の選択肢があったとして、
その選択者に、どういう知識や経験があっても選べるのは「1つだけだ」と。

そうですよね、1つしか選べません。
だから後悔しやすいのだと。

つまり、選択肢の多さは、後悔につながるというのです。

時代という視点で見てみる

現代、という時代で見ると、まさに選択肢が多すぎる気がします。

たとえば、職業。

以前だったら、代々受け継いでいる仕事があったりして、そののれんを引き継いでいくことが「家」だったのかもしれません。

中村屋といったら、ずっとこれをやる。というものが決まっていた。
だから、選択肢がなかった。

歌舞伎の世界に生まれてきたら、歌舞伎をやるしかなかった。
鰹節屋だったら、鰹節屋をやる。
世襲の仕事が多かった。
いまだに、政治家もそうですよね。

ところが、個人の自由が叫ばれ、また情報化社会を迎えて、仕事の流動性が高まってくると、選択肢の幅が広がる。

選択肢の幅が広がることは、幸せなことだと今まで思っていたけど、選択肢が広がれば広がるほど、迷いが出るし、後悔もしやすいとは言えないだろうか。

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学歴も低い方が幸せかもしれない?

よく、学歴をあげることは「選択肢を増やすことだ」と言われたりします。
つまり、学歴が低ければ、選べる選択肢が少ない。
でも、学歴が高いと、やれることが増える。

でもひょっとしたら、このやれることが増えることが本当に幸せなのか。
「なんでもできる」ということは、何もできないということなのかもしれません。

よく、一流のプロ野球選手などが

「俺から野球をとったら何もないから」

なんて言ったりするのを聞きます。

一つしかないからこそ、その道を究められて、人ができないようなところに到達できるのかもしれないな、なんて思ったりします。

もしそうだとすると、ひょっとしたら必ずしも学歴をあげることが大切ではないのでしょう。

だとしたら、人生では何が大切なのか?

だとしたら何が大切なのか。
それは他でもない、

「これがやりたい」
「俺にはこれしかない」

ということに早く出会う、見つけることなのではないでしょうか。

あるいは、仮にたくさん選択肢があったとしても

「3年間はこのことだけを考えて一生懸命やってみる」

ということが大切になるのではないでしょうか。

私は、新入社員には

「何があっても3年は辞めない方がいい」

と言います。

理由は「選択肢」に頼らないようにするためです。

幸せと年収の相関関係

少し話は変わりますが、幸せと年収、という視点で見ても意外なことがあります。

それは何かというと、幸せの経済学というのがあって、およそ年収1,500万円までは幸せ度はあがるのですが、それ以上になるとむしろ不幸になる、というのです。

金が多ければ多いほど良い、というのも間違いだ、ということです。

ちょっと逆説的ではありますけど、

実は、選択肢が限られていて、(たとえば世襲とか)
自由の少ない職業選択のあり方の方が後悔の少ない、言い換えれば満足度の高い仕事ができるのかもしれません。

不自由なほど幸せって、ちょっと面白くないですか?
今度また考えてみようと思います。

 

迷いながら、強くなる (単行本)

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