今日、4月8日は「忠犬ハチ公の日」です。
今日は、忠犬ハチ公についてのうんちくを学んでいきましょう。
レッツゴー・ウンチキスト!
今日の「忠犬ハチ公の日」は「忠犬ハチ公銅像及び秋田犬群像維持会」が制定しました。
1936年から、この日に慰霊祭が行われている。もう80年ほど前ですね。
渋谷の待ち合わせ場所でよく使われるハチ公像。
そのモデル、ハチ公を知らない人はいないでしょうけど、おさらいしましょう。
:ハチ公は、旧東京帝大、現東大農学部の上野英三郎博士に飼われていた秋田犬だった。
:彼は日本で初めて農業工学教授となった(三重県津市久居元町出身)。
:明治32年、政府は「耕地整理法」を制定し、翌年よりで耕地整理事業が着工されることになった。
:しかし、当時は専門技術者がほぼ皆無の状態。その中、農業土木を研究していたのが上野氏。
:上野氏は、東大で耕地整理の研究を進めながら、各地へ出かけて講演や技術指導を続けた。
:上野氏の墓は、三重県津市久居元町の法専寺と東京・青山墓地の2ヶ所にある。
:ハチ公は1923年に秋田県大館市で生まれ、1924年から上野博士に飼われることになった。
:上野博士の存命中は、玄関先や門の前で上野博士を見送った。
:時には渋谷駅まで送り迎えすることもあった。
:その後、上野博士が1925年5月に突然亡くなった後も、毎日渋谷駅前で主人の帰りを待ち続けた。
:主人を慕うハチ公の一途な姿は人々に感銘を与えた。
:「忠犬」と呼ばれるようになった。
:1934年4月、渋谷駅前に銅像が建てられた。
:銅像の除幕式にはハチ公自身も出席した。
:そして1935年3月8日に10歳余りで一生を終えた。約9年間待ち続けた。
:青山墓地では上野氏の隣へハチ公も葬られている。
:ハチ公の銅像は第二次大戦中に供出された。
:現在のものは戦後、1947年8月に再建されたもの。
ふむふむ、一度、戦中に金属が必要で溶かされたんですね。
そして、今では上野博士とハチ公が一緒にいる像も、上野先生の出身地で建てられました。
新たな忠犬「ハチ公」像 が三重県に建立されました
http://storia.co.jp/sh_shiroko/staff/437.html
今日のうんちく
・ハチ公を飼っていたのは「東大農学部」の「上野英三郎博士」
・ハチ公は秋田犬
・ハチ公は飼われて1年前後で主人の上野博士が亡くなる
・現在の渋谷のハチ公像は1947年に再建されたもの
・現在では三重県津市に上野先生と共にいるハチ公像もある
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