4月19日 今日のネタ|今日は「地図の日」です。伊能忠敬について。

伊能忠敬

伊能忠敬

今日4月19日は地図の日

今日は地図の日(最初の一歩の日)です。

寛政12(1800)年旧暦閏4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発したことが由来です。

今日は伊能忠敬について調べました。
レッツゴー・ウンチキスト!

伊能忠敬(いのうただたか)について

生まれた時の名前は「神保三治郎」です。

生年1745年、没年1818年ということなので、73歳まで生きたんですね。
江戸時代の商人であり、測量家です。

彼は平山家の養子になり、その後平山家から伊能家に婿入りして結婚、伊能姓を名乗るように。
その際、大学頭の林鳳谷から、忠敬という名をもらったそうです。この時、1762年。17歳です。
1800年から1816年まで、足掛け17年をかけて全国を測量し、『大日本沿海輿地全図』を完成させ、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにしました。
1800年の時にすでに55歳。そこから71歳の年まで測量に費やしたんですね。すごい…

どうやって測量したの??

これ、結構難しいと思うんだけど。

で、とった方法は「導線法(どうせんほう)」と、「公会法(こうかいほう)」

導線法とは、2点の距離と方角を連続して求める方法である。

測量を始める点に器具を置き、少し離れたところに梵天(竹の棒の先に細長い紙をはたきのように吊るしたもの)を持った人を立たせる。そして、測量開始地点から梵天の位置までの距離と角度を測る。測り終えたら、器具を梵天の位置まで移動し、別の場所に梵天持ちを立たせ、同じように距離と角度を測る。これを繰り返すことで測量を進めてゆく。

導線法を長い距離にわたって続けると、だんだん誤差が大きくなってくる。その誤差を修正するために交会法が使われる。

交会法とは、山の頂上や家の屋根など、共通の目標物を決めておいて、測量地点からその目標物までの方角を測る方法である。

導線法で求めた位置が正しければ、それぞれの測量地点と目標物を結ぶ直線は一点で交わるので、この方法で導線法による誤差を確かめることができる。
さらに忠敬はこれに加えて、富士山などの遠くの山の方位を測って測量結果を確かめる遠山仮目的(えんざんかりめあて)の法などを活用している。(Wikipedia)

ん?これを見ると、別に伊能忠敬一人で測量したわけじゃないのね。当たり前か…

あと、基本、晴れていれば毎日、天体観測も併用していたそうです。
全測量日数3754日のうち、1404日は天体観測をおこなっていたそうです。

ん?毎日はやっていないよな…こんなに雨降るわけじゃないし。

距離の測定は、最初は歩測だったそう。1町に158歩と書いてあるので、彼の歩幅は69センチだったと考えらえます。
ちなみに忠敬の体格は、着物の丈が135cmであることから、身長は160cm前後、体重は55kg程度と推定されているそうです。

その後、測量は間縄と呼ばれる縄や、鉄鎖を使って行われました。

以上、今日は伊能忠敬について調べました。
それにしても、彼への記述は多すぎて何を書くか大変でした…

また明日!

 

マンガでわかる測量

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