祖母の弟に、この夏会えた意味

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heaven

 

こんにちは。

今日は何のノウハウもありません。
ちょっと考えさせる体験をした、というノンフィクションの話です。

時間が許す方だけみてください。ちょっと悲しい話です。

なにかが見える祖母

母方の両親は山形の出身です。

祖父の訛りはあまり覚えていないのですが、祖母がずっと山形弁で話してくれたので、山形弁は私にとって「祖母の話す言葉」となっています。

私が19歳の時に祖父は亡くなり、祖母は31歳の時に亡くなりました。

このように書くと、別になにも不思議な話ではないのですが、なんというか、祖母はいわゆる霊感みたいなものがあって、いろいろなものが見える人でした。

夢で●●を見た、とかもあるのですけど、普通に生活していて、見えるようなのです。

その見えたものをありありと話してくれる祖母。
もちろん、嘘をついているなんて考えられません。

なんらかの脳の働きでそういうものが見えるだけかもしれませんが、祖母にとって何か見えていたのは間違いありません。

私はオカルトな話は嫌いです

言っときますが、私は霊の話とか、死後の世界とか、宗教とか、基本好きではありません。

普段の生活でそういう話をしてくる人も苦手です。

何か、オカルトなことを信じちゃってるの?

あるいは俺を騙そうとしてるの?

と思ってしまうのです。

でも、現実として、私の祖母はそういう見えたものの話などをよくしてくる人でした。

驚くべき「命日」

色々エピソードはあるのですけど、1つだけここで紹介すると、

なんと、祖父の命日と、祖母の命日は同じ日なのです。

まぁ、そういうこともあるでしょう。365人に1人は確率的にもそうなりますよね。

でも、それだけではないのです。

 

12年後の、同じ日に亡くなっているのです。

なので、亡くなった年の干支が全く同じ。

 

13回忌を少し早めに終わらせて、祖母はそれにも参加して、その後、亡くなったのです。

そんなこともあるのかもしれませんけど、まぁ、滅多にない話ですよね。

私が19の時に祖父が亡くなるときに起きた不思議なこと

ところで、話は祖父の話にかわります。

私が19歳の時に、祖父は亡くなりました

10年以上、寝たきりの状態が続いて、それでも祖母と、なにより母が毎日祖母の家に足を運び、食事・体を拭いて…など自分の実の父とはいえ、献身的な助けをしていました。

私はほとんど何も助けられなかったのですが、唯一覚えているものといえば、お風呂です。

私が中学の頃はまだ祖父はなんとか歩けたので、風呂に行くときには肩を貸して、祖父を風呂場まで連れていったりしていました。

ちなみに、祖母の家は、昔の家で、五右衛門風呂というんでしょうか、下から庭からとってきた木をくべて、火をつけてお風呂を沸かすタイプでした。熱くなりすぎるとだめ、ぬるくてもダメ、頃合いを火で調節する、という原始的なものでした。

さて、そんな祖父がいよいよ食事ものどを通らなくなり、調子の悪い状態がしばらく続いたと思います。

私は大学受験で(しかも浪人中)普通に毎日、あまり祖父のことを考えることもなく、ただ、母は祖母の家に行くことが増えている中でその日を迎えます。

その日は、夢でこんな夢を見るのです。

庭を祖父と私で見ているのです。庭にいすを置いて、二人で見ていたのだと思います。
ふと、スズメのような鳥がいて、親鳥がこどもに、餌をあげているのが目に入ります。

なんとなく、私はそれをみて、世代が交代していくことをうっすら感じます。

すると、祖父は私にこういうのです。

「うん、いいんだ、わかっているから」

私はとっさに心が読まれたような思いになって

「え、いや、今日は、言葉もはっきりしているし、調子良さそうだよ」「まだまだ元気でいてよ」

そういうことを言うんです。

でも、祖父は

「いいんだ。」

と大きく何度もうなずくんです。

私は、これまで親類が亡くなったことはなかったですし、隣に住んで小さいころからかわいがってくれた祖父が亡くなってしまうように感じて、猛烈に悲しくなったのです。

そこで、目が覚めます。
朝7時前だったと思います。

もういい加減大きくなった19歳なのに、涙がとまらない、というレベルを超えて、

わんわん泣き

なのです。

母は、昨日から祖母の家に泊まっている様子。

わんわん泣きながら、隣の祖父の家に走っていきました。

朝だから、鍵がしまっています。(田舎は昼間は開けていたりする)

 

大泣きして家に来た母と祖母は、「どうしたの?」と言います。

私は事の顛末を話して、祖父の顔を見ました。

もちろん、痩せていますけど、まだ息があります。

「顔を見られてよかった」

本当にそう思いました。

また、どうしてこんな夢を見たのだろう?という思いにもなりました。

 

顔を見たら少し落ち着いて、帰りました。

そして、その日、(正確には夜中を回りましたので翌日ですが)、祖父は亡くなりました。

母から、「あなたが、そういうものを見たというから、いよいよだと思って今日お金をおろしてきて良かった」と言われました。

後から思うと、最後になにか祖父が私に伝えたかったのかな、という気がするのです。
とても不思議な体験でした。

私は40年以上生きていて、泣きながら目が覚めたのはこの一件以外、思い出せません。

この夏、突然、山形に

この夏、母がどういうわけか、「山形に行こう」と言ってきました。

理由はないわけではなかったのですけど、大きな理由というわけでもなかったように私は思います。

 

結局、私は三人兄弟ですけど、母は日付を変えて、全員を山形に連れて行ったのです。

そして、その時に皆が祖母の弟(以下、おじいさん)に会えたのです。

 

祖母はもうなくなって10年以上たちます。
大好きな祖母でした。

そのおじいさんは祖母にそっくり(弟だから当たり前と言えば当たり前ですけど)で、本当に生き写しのようでした。

もちろん、話し方もそっくり。

 

そして、そのおじいさんに「戦争の話」を聞いてきました。

おじいさんは、志願兵で戦地に行ったそうで、体には何発も銃弾の跡がありました。

何度も当たったのだけど、急所だけは外して貫通したのだそうです。

 

戦地から帰ってきてしばらくして、母が小さい頃の話をしてくれたのですが、「おじいさんの骨が見えていて、弾が貫通したところは指が通った」と教えてくれました。

おじいさんは、目の前でアメリカ兵に撃たれて人がだんだん死んでいったけど、怖さは感じなかった、と言っていました。

「だって、ハナから、生きて帰れるとなんて思ってないんだもの」

敵の銃弾に撃たれて倒れるんだけど、急所が外れているから、生きている。
それで動くと

「ないーぃだ、まだ生きてたっだかぁ?」

(正しくない山形弁かもしれませんが)なんて言われた、なんて話をしてくれました。

もちろん、小学生の頃は祖母からB29の空襲があったこと、防空壕に入っていたことなどを聞いたことはありますけど、生で戦争の話を聞くのはそれ以来、30年以上ぶりでした。

おじいさんは、とても元気で、滑舌よく、戦争の話をしてくれました。

ちょうど今年は戦後70年。

生きて戦地に行った人から話を聞けるなんてことは、もうそうはないな、なんて思って帰りました

そのおじいさんが、昨日亡くなりました。

そのおじいさんが、昨日亡くなりました。

寝たまま起きてこないと思って見に行ったら、冷たくなっていたと。

前日の夕ご飯も食べていたそうです。

表情は安らかで、今にも起きてきそうな顔だったということです。

 

おじいさんの年齢が何歳なのか、確認していないのですけど、戦争が終わった時に18歳くらいだったのでしょうか。

だとすれば、今、88歳。

戦地を戦い抜いたおじいさんは、笑顔でしたけど、戦地を戦ってきたという誇りと芯の強さを感じました。

きっと、亡くなる前に山形に呼ばれたのだろうな、と考えました。
だって、そんなにタイミングよく行きますかね?

しかも兄弟3人ともが会いに行って。本当に驚きました。

ここまでが、ちょっと不思議な話です。

人の命は有限なんですよね

当たり前ですけど、人の命は有限なんですよね。

私はもう40を過ぎていて、男性の平均寿命からすれば、すでに折り返しました。
必要なことはやったのかな?やれていないことに、言い訳をしていないかな?

ひとは、人生の有限性に気づいたほうが、やり残しのない人生にできそうな気がします。

 

残された我々は、いただいた命を、精一杯生きなきゃ。

おじいさんのご冥福をお祈りします。
おじいさん、本当にありがとう。

さて、ここまで読んでくれた皆さま、今日はなんのうんちくでもないのに、ここまで単なる日記にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 

人は有限の声明をもって 無限の志望を 抱くものなり

 陸奥宗光

 

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