こんにちは。京野です。
このブログは去年の4月から書いたので、震災の日を迎えるのは初めてです。
2011年3月11日の思い出
3月11日は日本人には忘れられない日になりました。
私は東京で被災しました。
お昼に東京駅のホテルで懇意にしている社長が誕生日だったのでお茶をしました。
その後、港区でお客様との15時からのアポイントだったのですが、少し前に到着したために、近くを散歩していました。
14時46分。
人生で経験したことのない強い揺れ。
足元は舗装をされた歩道を歩いていましたが、波を打ったようでした。
とにかくびっくりしました。
「な、何が起こったんだ??」
と思いました。
大きな揺れはしばらく続きました。
が、それで一応終わりました。
クライアント先に行くと、会社のいろいろなものが崩れていました。
社員さんと一緒にそれを直して、15時からの予定の打ち合わせは、15時45分ぐらいから始まったと記憶しています。
一通り、その予定が終わり、帰ろうと思った17時30分頃でしょうか。
「交通機関は麻痺してます」
と言われました。室内で話をしていたので、全くわからなかったのです。
自宅までは距離があるので、すぐにホテルを取ったほうが良いと言われました。
ホテルがなんとか取れた
殆どのホテルは埋まっていましたが、なんとか1つ歩いて行ける距離のところで予約が取れました。
その日は、結局交通機関には何も乗れませんでした。
電車は完全にストップ。
自動車は通っているのですが、全く進まないのです。
家族の安否は確認ができました。
携帯電話はこれも回線がパンクして、つながりませんでした。
なんとか携帯メールはできたと記憶しています。
一番安定して使えたのがTwitterだったのも記憶に残っています。
当時はLINEなんてなかったですよね。(調べたら2011年の6月23日リリースなのだとか)
母も都内に来ていた
地元の母が仕事で東京に来ていました。
ホテルは取れたとのことでした。翌朝ホテルまで迎えに行くことにしました。
母は地元に帰る手段がなくなり、交通機関も全く止まってしまったので私の家に復旧まで泊まることになりました。
子どもたちは学校で被災
子どもたち二人は小学生の低学年と中学年。
妻はPTAでちょうど小学校にいたそうです。無事であると聞いて胸をなでおろしました。
余震が続く中、不安に思いながら寝たのを覚えています。
死傷者
命が、あっという間に失われて行く映像が毎日のように流れました。
津波で、多くの方が犠牲になりました。
現時点で死者は15,894名、未だ2,561名が不明とのことです。
被害を受けられた方に深く哀悼の意を評します。
実家での被害
私の実家周辺も被害はありました。
ようやく常磐道が復旧したのが2週間後ぐらいだったでしょうか。
高速バスが最初に開通しました。
そこで母とともに帰郷。
家の中が見たことないほどぐちゃぐちゃになり、食器棚は開いて大方の茶碗や皿やグラスが割れていました。絶望的な気持ちになりました。
多くの家は瓦が落ち、家にひびが入り、建物は倒壊したところもあります。
私の母校も体育館が使えなくなったと聞きました。
命とは何か、生きているとは何かを感じました。
人にあの時はより優しくなれたような気がします。
平和で生きていることのありがたみも感じました。
こういう災害は起こってほしくないんだけど、どんなことでも学べる事はある。
普段から意識しなきゃいけないなと思いました。
もう一度、思い出そう
今回は震災から丸5年という節目ということもあって、テレビでは特番が組まれていました。
当時の映像をまた目の当たりにしました。
悲しさが再度こみ上げてくるのは辛いけど、風化させてはいけないと思いました。
もう一度、思い出そう。人間の儚さを。
もう一度、思い出そう。生きている喜びを。
起こしたくない「戦争」について
我々日本人が近く経験した惨禍といえば、阪神大震災や関東大震災もあるけど、やっぱり第二次世界大戦。
戦争という惨禍を起こしたくない、という思いはずっと変わらないけど、国防のあり方が変わってきているとは思っています。
すでにサイバー戦争は始まっています。
あらゆる情報をあらゆる国家同士で取り合っています。
アメリカの大統領候補でもあるトランプ氏が日本をこう言ったそうです。
「我々国民が危機になっても守ってくれない日本に対して、我々は命をかけて守るべきなのか」
トランプの好き嫌いは別として、まぁ、言っていることはこの部分はわかります。
日本は湾岸戦争で紛争地には行けませんでした。ありえないほど金銭的援助(130億ドル、約1兆5,000億円)をしたけど、クウェートが出した感謝の広告には日本は入っていなかったと言われています。(この件はそれ自体がプロパガンダとかいろいろあるのは知っていますが)
参考:
http://blogs.yahoo.co.jp/moritakeue/13415148.html
そもそも、仲間たちを守りたくてもそれができない憲法を持っているから仕方がないんだけど、本来ならば集団的自衛権は国際法上当然の権利。
仲間内がやられていたら、それに対して「何もしない」ではやっぱり私は国を守れないと思っています。
もちろん、憲法論はGHQが事実上押し付けたものだとしても、その憲法を変える権利は国民が持っている。
絶対戦争のある世の中なんかにしたくないし、そういう日本にしたくないけど、
改憲=戦争なんかじゃ絶対無い。
国民を守るためには、非暴力不服従は理想だけど、それではダメだと思います。
僕は、目の前で子どもの命が奪われそうになっていたら、非暴力なんかじゃいない。
命をかけて、相手を全力で息の根を止めに行く。
「平和憲法があれば大丈夫」は妄想だと思う。
核についても、軍備についても、国際標準の考え方を知ったうえで、日本がどうあるべきかを考えたほうが良いと思うんだよね。
「平和で来れたんだからそのままでいい」なんて思ってはいけない。
なぜなら、世界は変わっている。国際的なパワーも変わっているし、価値観も変わっている。
戦争の質も変わっている。
最後に話が変わっているけどw、悲しいことは経験したくないってことさ。うんうん。
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